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TERPSICHORE(テルプシコール)とは?

TERPSICHORE(テルプシコール)

ギリシア神話の女神で、ゼウスとムネーモシュネー(記憶)の間に生まれた九人のムーサ(ミューズ)の一人と云われ、合唱隊の叙情詩と舞踊を司る女神と云われている。初めて裸足で踊ったという伝説の舞踊家、イサドラ・ダンカンが『テルプシコールに捧ぐ』という作品を踊った事も有名。1981年に設立したこのスタジオを「テルプシコール」(フランス読み)と命名したのは、舞踊評論家の故・市川雅氏。

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舞台批評

舞踏 松下正己×ワタル『幻夜』(3月30日所見)
文・武田寿信

 終演後に、これほど再演の声が聞かれた公演は無いのではないだろうか。

 松下がロビー入口から、ワタルが舞台下手から登場した時から、共同作業の断片が早くも表出していた。この1回目のデュオは、全く違う身体-体型が脂肪の増大により不格好に大きくなったワタルと、ストイックなまでに女性体形に執着する松下-が、視覚的には両極を描いていながらも、根底に流れる相似によるシンクロナイズが決して単純なアンサンブルを選択することなく、測られた距離での親和性を舞台に浮き上がらせていた。

 ワタルのソロは、多少構成に縛られていたものの、2012年の天狼星堂小作品集『そらはなんであおいの?』で描かれていた円弧を彷彿させる踊りを見せてくれた。ここ数作のワタルを払拭するような出来だった。段ボール箱を重ねたロボットのように変形した不均衡な身体は、汗かきの体質と相まって生々しく油光りしていた。以前からワタルが抱えている狂気に期待していたが、この絶妙な仕上がりによるアンバランス感は、今後の舞台においても更なる存在感を放ってくれそうな予感がする。ただ、以前から指摘している安易に舞台に転げまわることを、その体型を理由に止めて別な方法を選択するか、体型に合わせて変化させる糸口にならないだろうか。ワタルにはもっと自由になって欲しい。

 生々しいワタルとは対照的に、松下は独自の美意識によるアプローチを磨き上げていた。2010年『メシアン/世の終りの為の四重奏曲による即興舞踏』、2011年『カラッポに吠えるイヌの様に』(未見)以来、ここ数年は他公演の客演以外に目立った活動は無く、元来の消極的な性格により沈黙を守っていた。今回の公演では、ソロではないものの、やっとのことで重い腰をあげてくれた。相変わらずの腕を捏ねる癖は気になるが、久々に観た踊りは落ち着いており、切ないほどの夜の華を開いていた。しかし、私は女形の必須条件の一つは倒錯性と考えている。その意味においては、松下は倒錯性の意識が低いように感じる。倒錯性の捩れを内面で培養することができれば、闇に縁取られた身体が舞台上に浮かび上がるのではないだろうか。

 オープニングのデュオの距離感には感心したが、2回目のデュオでは2人の意識にズレが生じていた。大枠は決めていただろうが、決して即興が得意という2人ではないだけに、曝け出そうとする者と隠蔽しようとする者が踊る意味を詰めなければならなかった。即興にはそれらを壊滅する力を備えてはいるが、矛盾を孕んだ葛藤の方が想像力を刺激してくれたのではないだろうか。加えて、デュオ~各自のソロ~デュオという単純な構成だけに、デュオパートを丹念に上げなければ、公演自体に疑問符を付けることになる。個人的にはソロパートを削っても構わないから、公演を〆る意味で、ラストのデュオでは共犯関係を暗示して欲しかった。

 今回の公演後に残ったのは作品の印象だけではなく、以前には見られなかったワタルの欲望だった。かつての同門で、松下はソロで美意識に苛まれ、ワタルは天狼星堂でポジションと自身の踊りにもがき苦しんでいる。その2人がデュオで踊った。しかも、誘ったのはワタルの方からだという。遡ること約3か月前、ワタルと横滑の2人で踊ったデュオ『夢見るお七の海鼠(なまこ)夜話』でワタルは確信を得たのではないだろうか。その確信というのは、いい作品ができたとか、上手く踊れたとかいうものではなく、デュオで踊っている間のふとした瞬間に、デュオでありながらも、自身の存在を掴むことができたのではないだろうか。そこからの期間が3か月間しか無いのが推測としては根拠が薄くなるが、繋がりを消去できない公演であったことも確かだ。だからこそ旧知の仲である松下を指名したのではないだろうか。男性2人のデュオという演出はあっても、公演となると割と少ない。その中で今回の公演が特別に成功した訳ではないが、この2人が次回の公演では更に深く関係性を構築して踊れば・・・、という身勝手な想像と期待が他の公演よりも強く働いたのは間違いない。再演の期待が大きいだけに、2人がその期待を受け入れてくれるか不安だが、できれば定期的に(或いは不定期的にでも)上演して欲しい。いや、もしかしたら、これも推測の域を出ないのだが、ワタルの欲望は想像以上に膨らんでいるのかもしれない。

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